
高校では練習で力を出し切ったことがなかった
中学生時代に全国1位の実績を残した当時15歳の小林さんは、意気揚々と全国高校駅伝で初優勝を果たしたばかりの須磨学園高校に入学しました。すると、大きな衝撃を受けたと言います。
「競技レベルに関係なく、みんな同じ練習をしていたんです。強豪校とはいえ、選手の能力はさまざま。それなのにA、B、Cと練習メニュー分かれていなくて……。正直、私は物足りなさを感じ、監督に『練習が足りないです』と直談判したこともありました。そのとき言われたのは、『その気持ちがあるなら、試合で出せばいい』と」
練習で限界まで追い込むことはほとんどなく、“腹8分目”で終了。なかなかお腹いっぱいには、させてくれませんでした。指導者からメニューを押し付けられたこともありません。常に頭を働かせて、練習のタイム設定も選手たちで決めていました。
「練習で力を出し切ったことがなかったので、試合でどれくらい走れるんだろう、と思っていました。いつもわくわくした気持ちでレースに臨んでいました」
練習は量より質。勉学をおろそかにすることもなく、文武両道を貫きました。そして、高校3年生で迎えた5月。国際グランプリ大阪大会で1500mの日本新記録となる4分7秒87で走ると、同年9月にはスーパー陸上で自らの持つ記録を再び塗り替え、4分7秒86をマーク。日によく焼けた肌に無邪気に白い歯をのぞかせる女子高校生の姿は、いまでも多くの陸上ファンの記憶に深く刻み込まれています。ただ、当時17歳の本人はあっけらかんとしていたようです。
「高校生のときは、とにかく走るのが楽しかった。日本新が出たときも、記録、出たって感じで。『気づいたら』という表現がしっくりきますかね」