プロ・実業団アスリート

女性アスリートとしてのコンディショニングとは~高校時代に出した日本記録は生理2日目だった~(1 ⁄ 3)

Yuriko Kobayashi
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陸上女子5000mで2008年の北京オリンピックに出場するなど、長距離界の第一線で活躍してきた小林祐梨子さんは、女性アスリートとして月経といかに付き合ってきたのか。思春期の高校時代から実業団時代、引退後の話まで、ご自身の経験をもとに語ってもらいました。

食べてなんぼの高校時代は無月経と無縁

昔も今も多くの女子長距離選手たちが、苦労しているのは徹底したウエイトコントロール。体重の減少が、無月経の原因になる例も少なくありません。小林さんは現役を退いてから講演会などで中学校、高校の陸上部を訪れるたびに、女子選手たちから決まって同じような質問をされると言います。
<お菓子は食べていましたか?>
<甘いものはどのようにして我慢していたのですか?>
冗談半分ではなく、チョコレート1個も食べられないのは切実な悩みなのです。小林さんは、明快な語り口で中高生たちに自らの経験を伝えています。
「私が中高生の頃は食べていましたよ。我慢すれば、ストレスが溜まるでしょ? 好きな物を食べたときは、その分だけ、プラスアルファで走ればいいんだから」
小林さんは全国トップレベルの選手としては珍しいタイプでした。800m、1500mで日本一に輝いた中学生の頃から大食漢。同級生たちが食べ切れない給食のおかずをきれいに平らげ、食べ盛りの男子に混じって、女子で一人だけ余った牛乳の争奪戦にも参加していたほど。1日で牛乳を5本飲むこともありました。
「人生において、最も体重が重かったのは思春期を迎えていた中学3年生のとき。健康体そのものでしたよ。太った状態のまま須磨学園高校に入り、体重オーバーが原因で脚を一度痛めたこともありました」
いまとなってはすべてが笑い話。高校入学後、陸上部の日誌に体重をつけさせられても、気にも留めていませんでした。毎日、鏡の前に立って自らの体型をチェックし、おおよそのウエイトを書き込んでいたのです。
「何となく見た目で何キロとかね」
もちろん、当時、監督だった長谷川重夫先生が気づかないわけがありません。
「本当の体重なのか? ちょっと絞ったほうがええんちゃうか」と笑いながら言われたこともあったとか。小林さんが通った強豪の須磨学園高校は、体重管理に対して、そこまで厳しくなかったのです。小林さん独特の早口の関西弁で、面白おかしく高校時代を懐かしんでくださりました。
「実際に体重計に乗ったら、申告していた体重と全然違うこともありました。そんなときは、200グラムくらい減らして書いていたかな。厳しい高校では、監督の目の前で必ず体重計に乗っていたみたいです。私は3年間で一度もそんなことはなかった。むしろ、先生からは『もっと食べなさい』と言われていたので。食べて、なんぼでした」

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