
自らアメリカの大学に売り込む
現在、26歳の黒崎選手は高校時代、進路について悩んだときのことをよく覚えています。17歳の春でした。時代は女子プロサッカーのWEリーグが発足する前。黒崎選手は全日本女子サッカー選手権の優勝経験を持つ藤枝順心高校のキャプテンを務めていました。当時は高卒でなでしこリーグのチームに入り、仕事をしながらサッカーをする想像できなかったと言います。スポーツ推薦で強豪大学に進むことを考えていましたが、母親から一度立ち止まって考えるように諭されました。
「サッカーだけで進学し、もしもケガをしたらその後はどうするの? サッカーを手段として使い、他に自分のやりたいことを見つけて、大学に行くほうがいいよ」
もっともな意見でしたが、幼少期からプロサッカー選手を夢見て、走り続けてきた高校生は頭を悩ませました。大学で学びたいこともなければ、サッカー以外の目的も浮かんできません。しばらく考えていると、ふと思いつきました。
「よし、海外に行こうって。アメリカやヨーロッパのチームでプレーしている先輩たちもいたので、身近だったんです。ただ、高卒でヨーロッパに挑戦しても、プロ契約を結べるほどの実力はなかったので少し考えました。そのときに偶然、見つけたのがアメリカの大学。直感がはたらいたんだと思います」
高校3年生になると、留学会社を通してアメリカの大学と連絡を取り始めます。そして、サッカーで奨学金制度を利用できることを確認。そこから自ら売り込むために自身のプロモーション動画を撮影し、大学に送ることに。プレーのハイライト映像と言っても、スマートフォンで撮影した手弁当。すべてが手探りでした。
「今、振り返れば、アメリカに行きたい気持ちが相当強かったんだと思います」
高校3年生の夏にはアメリカ行きの航空券を握りしめ、いざ本国へ。大学サッカーの試合を現地観戦すると、大きな衝撃を受けます。サッカー熱の高い大学のダービーマッチだったこともあり、スタンドはほとんど埋まり、熱気に包まれていました。日本の女子サッカーでは見たことがない光景でした。英語はほとんど話せなかったものの、帰りの飛行機では進路を決めていました。
「アメリカの大学に行こうって」