球際に負けないように体幹トレに取り組む
留学の準備を本格的に始めたのは、高校最後の全日本高校女子サッカー選手権で優勝を果たしたあとです。卒業を控えた2月から語学の勉強をスタート。6月には渡米し、約1年間、語学学校に通うことに。熱中してきたサッカーも一時中断。ひたすら机に向かう日々です。スカラーシップ(返済不要の奨学金)を取っているとはいえ、英語の習得は入学の絶対条件でした。1年かけて大学が求める英語の基準をクリアし、ようやくケンタッキー大学の入学許可が下りました。アメリカの大学サッカーのシーズンは8月に開幕し、11月に閉幕。準備期間はあまりにも短かったと言います。1年近くブランクがあるなか、約3カ月で大学リーグに向けてコンディションをつくらざるを得なかったのです。
「サッカーの技術面を評価してもらっていたので、シーズンのスタートから出場機会をもらえたのはありがたかったのですが、正直、体力は追いついていなかったですね」
フィジカルコンタクトの激しいアメリカの環境に慣れようとしていた矢先でした。シーズンが始まって1カ月足らずの9月上旬、試合中に思わぬアクシデントが起きます。相手との接触プレーで右ヒザの内側靭帯を損傷。
「ヒザがポンと持って行かれてしまったような感じでした。靭帯は断裂していなかったので手術は免れたのですが、シーズンはそこで終わり。1年目は何も結果を残せなかったです」
アメリカ女子サッカー界では、身長163cmの黒崎選手は小柄な部類。空中戦ではまともに勝負すれば、勝てる見込みは少なく、スピードの差もありました。故障してリハビリに励むなか、当たり負けしないための身体づくりに力を入れました。
「相手にぶつかられても、飛ばされないようにしないといけなかった。簡単にボールを奪われてしまうと、出場機会も少なくなってしまいますから。球際で負けないことを意識し、体幹トレーニングに取り組んでいました」
黒崎選手が通ったケンタッキー大学はトレーニング施設が充実しており、専属のフィジカルコーチもいる環境でした。そして、迎えた2年目のシーズン。気をつけていた怪我ですが、9月下旬に再び負傷。次は味方選手との接触で左足首の骨が欠けて、長期離脱を強いられたのです。2年目もケガの影響でほとんど試合に出場することはできませんでした。