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トレーナーの資格・理論を携えたプロ野球監督による身体ケアのメソッド(2 ⁄ 4)

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引退の危機を「自分の身体と向き合うチャンス」に

馬原さんはプロ9年目の2012年には右肩を手術。同年は一軍・二軍ともに登板なしに終わりました。2013年からは右鎖骨下の腕神経叢(うでしんけいそう)の炎症に悩まされ、「今でも右腕に少ししびれが残っている」とのこと。

「さすがに当時は引退も頭をよぎりましたが、『これは逆にチャンスかもしれない』とも思いました。この状態から再起して1軍のマウンドで結果を残せたら、そのときの自分は身体のケアの方法を深く学べているはず。それなら残りわずかな現役生活は自分を実験台にして、この身体と徹底的に向き合ってみよう、と思ったんです」

そして馬原さんは評判の良い全国の治療院から、肘や肩の名医も巡りました。また手技の治療も、ワンコインのものから1回数十万円のものまで、あらゆるものを試したそうです。

「そこまで様々な治療を試したのは、数万人の観衆を前にプレーするプロの世界では、小さな誤魔化しも効かないからです。身体に小さな違和感があり、0コンマ何秒でも動きに狂いが生じたら、1軍の世界では確実に打たれます。そのためプロの試合は治療結果の最高の答え合わせになるんです。そして僕は様々な治療をうけるなかでストレッチやマッサージの引き出しも増やし、『この方法は間違いない』と感じるものを組み合わせて実践するようになった結果、登板試合数でキャリアハイの成績も残すことができました。ボロボロの状態からでも、痛みや違和感のない身体を作れることを自分自身で実証できたわけです」

現役最後の3年ほどは、トレーナー陣に自身のケアの方法を教えながらプレー。そのレクチャーは全身のマッサージで5時間、ストレッチで3時間にも及び、「トレーナーの側が逃げ出すくらい大変でしたし、僕も最後はそのケア疲れで引退という形になりました」と振り返ります。しかし、そこで学んだことは大きかったといいます。

「トレーナー陣に毎日何時間も、何ヶ月もケアを教える中で、自分の手技も大きく上達しました。また、自分で自分に手技を続ける中で、『手技をする側』「手技を受ける側」の両方の感覚を深く学べたことも非常に大きかったです。そして手技をする側として、その手法に説得力を出すために資格を取ろうと考えるようになりました」

そして馬原さんは現役引退後に九州医療スポーツ専門学校に入学。柔道整復師・鍼灸師の資格を取得した。学校での勉強は「全てが新しいことでした」と振り返ります。

「僕は現役の頃から解剖書を持ち歩いて勉強をしていて、他の選手より身体の知識はあるつもりでしたが、いざ勉強をはじめると生理学や公衆衛生など、いちから学ばなければいけないことが数多くありました。そして勉強の経験と、自分が受けてきたケアの経験を踏まえて、『プロとして人の身体のケアを行うには、こうやっていちから勉強を重ねて、国家資格を取得することも大切なんだな』と理解ができました」

このように勉強を重ねたことは、一人のトレーナーとしても大きな強みになっているそうです。

「僕の強みはNPBの実績を持っていて、アスリートの感覚を知っているうえで、なおかつトレーナーとしての資格も理論も持っていること。これは他のトレーナーと話していても違う部分だと感じます。特にアスリートというのは、野球選手を含めてみんな『ここにグッと力を入れたときに痛みが出るんです』『リリースの瞬間にここがピリッとするじゃないですか』といったように理論ではなく感覚で物を言います。僕はその言葉が理解できて、それを手技にもいかすこともできるんですよね」

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