vol.145 急増する神経疾患に注目の「遺伝子治療」

健康・医療トピックス
呼吸をしたり、立って歩いたり、楽しいことを思い出し、記憶したり、考えたり。ふだんなにげなくしている動作は、中枢神経から全身に張り巡らされた運動神経や自律神経の働きによって支えられています。3人に1人が65歳以上という超高齢化の時代が間近になり、アルツハイマー病やパーキンソン病といった神経の変性で起こる病気の急増が懸念されています。今後、がんを抜く勢いで増えるといわれています。
神経の組織は再生しないため、変性すると治療は難しいのですが、遺伝子研究が進んだことによって神経の難病に対する遺伝子治療が大きく進歩しています。2014年には東京大学医科学研究所に研究拠点となる遺伝子・細胞治療センターが開設され、同年11月、キックオフ・シンポジウムを開催。日本の遺伝子治療が本格的に動き始めています。
vol.145 急増する神経疾患に注目の「遺伝子治療」

最も進んでいるパーキンソン病の遺伝子治療

遺伝子治療とは、欠けたり、壊れたり、足りない遺伝子を外から体の中に入れる治療法です。自治医科大学の内科学講座神経内科学部門の村松慎一特命教授は、留学先のNIH(米国立衛生研究所)で遺伝子治療に携わり、帰国後、神経変性疾患の遺伝子治療の開発を始め、現在は東大医科研の同センターでも研究しています。「いま、神経疾患の遺伝子治療で最も進んでいるのは、パーキンソン病」だと話します。
パーキンソン病は、手足がふるえ、体が硬くなって動きが緩慢になる病気です。神経変性疾患ではアルツハイマー病に次いで患者が多く、65歳以上では100人に1人、日本では約16万人の患者がいるといわれています。パーキンソン病のさまざまな症状は、脳の中脳にある黒質の神経細胞が変性し、脱落することによって起こります。通常は黒質から神経細胞へ突起が伸びて、運動や知覚が伝達されます。ところが、パーキンソン病が進行すると神経伝達物質のドパミンの合成に必要な酵素の活性が低下。ドパミンがつくられなくなって神経細胞が変性し、運動機能に障害が現れるのです。
パーキンソン病の遺伝子治療は、このなくなった酵素の遺伝子を神経細胞の中に入れようというものです。「実際には、アデノ随伴ウイルス(AAV)を用いて注射で投与します。ウイルスというと悪者のようですが、AAVは病原性のないいわば善玉のウイルス。ヨーロッパではすでに医療用の製剤として認められています。受け手の細胞に酵素の遺伝子を入れてドパミンをつくらせようというのが遺伝子治療の原理です」(村松特命教授)。
パーキンソン病の遺伝子治療は、2000年に村松特命教授らによるサルの実験で効果が確かめられた後、2007~2009年に自治医科大学で6人の患者に臨床試験が行われています。「治療前は歩くのがやっとだった人が元気になって通勤ができるようになりました。5年後のPET検査でも治療した遺伝子が働いており、運動機能はよくなっています」。その後、2015年から投与量を変える臨床試験が開始されました。

アルツハイマー病やALSでも研究が進む

遺伝子治療は、アルツハイマー病でも研究が行われています。アルツハイマー病は、脳にアミロイドβというたんぱく質が溜まって認知機能が障害されるというのが定説です。根治的な治療法はまだありませんが、年をとるとアミロイドβを分解するネプリライシンという酵素の活性が低下することがわかっています。「動物実験では、ネプリライシンを入れるとアミロイドβが溶けることがわかっており、1回の治療で運動機能や認知機能がよくなったというデータが出ています」。
また、ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、全身の筋力が低下し、筋肉が萎縮していく神経変性疾患の難病。人工呼吸器をつけないと2年以内に亡くなる深刻な病気です。原因不明ですが、ALSの患者の脊髄ではADAR2という酵素の活性が低下しており、遺伝子治療でよくなることがわかっています。「こちらも動物実験の結果ではありますが、希望が見えてきています。失った機能は戻せなくても、それ以上進まない、呼吸器はつけなくてもいいかもしれないという可能性が出てきました」(村松特命教授)。

今後の遺伝子治療に注目!

遺伝子治療、遺伝子検査、遺伝子診断など、遺伝子という言葉が身近に聞かれるようになってきました。遺伝子治療はまだ誰もが受けることはできませんが、すでに20年以上の歴史があり、研究成果が少しずつ積み重なっています。「今後の課題は、安全性を検証して量産体制を確立すること。神経変性疾患の中ではALSが最も深刻な状況にあるため、1日も早く実用化できるようにしたい」と村松特命教授。アルツハイマー病では、物忘れの症状が現れる軽度認知障害(MCI)の段階でネプリライシンを測り、活性が低いとわかったら遺伝子治療で進行を止められる可能性もあると話します。これまで治らないとされてきた難病に効果が期待される遺伝子治療。今後の動きに注目していきたいものです。

監修 自治医科大学 内科学講座 神経内科学部門 特命教授 村松 慎一 先生

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